きょにっき|2018年12月

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2018年12月31日(月) 晴れ

餅つき機での豆もち作りを母から習得。意外と簡単であった。我が家の豆もち復活、嬉しい。

シーツや枕カバーやソファカバーなどを洗濯して干し、部屋の掃除機を掛け、ベランダを掃除し、窓を拭き“さん”を掃除。さんに溜まっていたのはほとんどがまるの毛であった。それならそれとて放ったままでもよかったけど、なんて思いながらとても綺麗になった。以上、机の上の片付け以外は結構年末大掃除的なことができた。私にしてはよくやった。机上は年始に持ち越し。

父は相変わらず寝込んでいる。
紅白を観ながらだんだんしかし私も頭が痛くなってくる。風邪が感染らないように喉を乾かさないように気をつけていたけれどやっぱり感染ったかな……と不安に思いつつ、さっき葛根湯を飲んだら少し緩和したように感じる。

紅白は楽しく観たけれど、aikoのカブトムシ聴いたら口ずさみたくなって、私の平成紅白とはaiko世代なのだなと思った。
そして米津玄師のLemonを聴いて泣く。

今年の漢字は「解」

じんましんに大いに苦しんだけれど、解放の年であった。
本当に、良い年になったと思う。

2018年12月30日(日) 晴れ

母がクリスマスプレゼントに買ってあげると私自身で選んだもこもこの靴下を履いて一日過ごしてみたのだが、思っていた以上にもこもこしていて暑くて慣れない一日を送った。これは慣れるのだろうか。もこもこに慣れる日というのが訪れるのだろうか。

父が「気分が悪い」というので嫌な予感がしたので早く寝かせた。
すると今年は作る気になってくれた豆もち(餅製造機で毎年正月にこしらえる我が家の伝統のようなものだったが昨今は面倒になったらしく作られていなかった)用のもち米を、今日はもう洗って水に漬けられないので豆もち作りは明後日になると言うから私が代りにそれをやった。
夜中に父、嘔吐。風邪だろうか。最近、嘔吐から発熱する風邪もあるようだから、用心してほしい。バケツと水をあてがって、2度ほど様子を見に行ったがまぁ大丈夫なようだ。
昨年末は母が大変だったから(私も母からインフルエンザが感染って大変だったが)今年は平和だね有り難いねなんて言い合っていた矢先に、父に倒れられては困る。

ミスターサンシャイン』浪人ク・ドンメ役のユ・ヨンソクが出ている映画を観る。
作品の余韻を壊したくないから俳優のプロフィールや画像などを検索しない性質だが、パッと目に入った映画のサムネイルの俳優が彼っぽかったので、少し覗いてしまった。と、余韻を壊す感じではなさそうだったので作品も観た。現代だと彼はこんな感じなのか、と不思議な感じもしたけれど、当然ク・ドンメ役が断然カッコよかったけれど、現代映画もだいたい大丈夫な感じにカッコよかったので良かった。私はユ・ヨンソクが好きだな。

今日も何も片付けをしなかった。今年はこのままかな……。

2018年12月29日(土) 晴れ

なんて、太陽が眩しすぎる7時半

韓国ドラマ『ミスターサンシャイン』を観終える。
史実に基づくフィクション、しかもラブストーリーというのは、その史実がつらく悲しいものなら尚さら、なんともいえない気持ちになる。
あくまでもフィクションなんだけど、「史実を基にした」という限り、何かが乗っかってしまうと、その乗っかってしまうものは不謹慎にも思えて、なんともいえない気持ちになる。映画『タイタニック』のような。
その史実に思いを持っていかれる。
また、こんな感じで、反何々というものに多く触れてくれば、それは恨みの感情を持ち育つことに道理がいった。
なんというか、なんというか。

私はやはりそこに乗せるつもりはないという立場である。

いつ、どこで、だれが、
ではなく、
いつでも、どこでも、だれでもが、
見上げただろう舞い落ちる桜をいかに美しく感じたか、
何を恋い慕い、おもったか、を、いつまでもずっとずっと先までも絶対に、のこるように、のこしたい。

明日は、机の上を片付けられたらいい。
今日は何もたぶんしていない。

2018年12月28日(金) 晴れ

不思議だ。昨晩、確かに違和感を感じていたような気もするけれど、今ふとベッドの上の掛け布団を見たら、掛け布団カバーのファスナーが全開され中の羽毛布団が外にほぼほぼはみ出ていた。不思議だ。「妖怪・いつの間にか掛け布団の中身出し」でもいるのだろうか。

無精なので、ちょっとずつほんの少しずつでも年末年始に片付けができればいいなと。毎日一つずつでも。
今日はまず、ソファカバーをベランダでホコリ・ゴミを払った。まずはこれだけ。あとで段ボールを一つ潰せられたら今日は万々歳。
段ボールはさっき潰したので今日は既に万々歳になってしまった。しかし、ベランダの鉢植えの一つの雑草を抜いた。これも大きい。雑草はそのまま派だけれどあまりにも窮屈そうだとそうもいかない。
明日が年内最後の古紙回収と聞いて懸案だった部屋の中の古紙をまとめた。よくやった。

今コンビニに行って来たら、来店した3客ともカップルだった。グッナイ。
ファミマに行くと必ず買うのが、「サクサク食感のコーンポタージュ」スナックと、「食感を楽しむ もちっと北海道メロンパン」だ。どちらもファミマにしかない、ファミマブランドの。これだけを買いに行きたくなるほど両者はファミマの至宝だ。

スクーターで家の前まで来たら走りすがりに「鳥?」が落ちていて、スクーターを駐輪場に停めたあと心配で戻って見てみると、葉の付いた小枝であった。グッナイ。

2018年12月27日(木) 晴れ

今冬のちょっと嬉しいのは、いつもジジジジと音がしていたストーブが、今年は無音であることだ。そのジジジジ音はうるさいとまではいかないけど、全く気にならないわけでもなく、なんでこんな音がするのか若干残念に思っていて、まぁ多分うるさかったんだけど、そうして数年過ごしていたのが、今年はうるさくないのがありがたい。なんの理由で音が鳴らなくなったかは分からないのだけど。掃除したわけでもお手入れしたわけでもないのに。とにかくこのまま無音でよろしくお願い。

夜空の下、寒い。年末だ。

2018年12月26日(水) 

ドラマを観ながら(最近はずっと『ミスターサンシャイン』を観ている。長い)うとうと眠くなって寝てしまって、目が覚めると数時間経っているとびっくりする。そんなにソファで眠れてしまうものか。

2018年12月25日(火) 晴天

朝から衝撃がはしるクリスマスイブ明け。
約一年半見守ってきた(?)男子が……これは、これこそ、『oh!しまった‼』に書こう。年末にでっかいしまったが来たなぁ……。

日記とエッセイの違いは? 日記は、推敲しない。そのままが良いだろうと。

音楽ってとても素晴らしくて大好きであるけれど、聴きながら(流しながら)考え書くことができないので、音楽を聴ける時間は貴重だ。

昨晩と今晩と、背中や脇腹にうーっすらじんましん。思い当たるストレスはない(継続して通底しているものは依然あるが)。なんでかな、乾燥かな。ボディクリームを塗って、服を裏返しに着て肌への刺激をなくしたら、今はおさまっている。

「恋愛の話とかしてる」って馬鹿にする人がいるけれど、それは恋愛自体を馬鹿にしているのか、そもそもその話をしている人を最初から馬鹿にしているから恋愛まで巻き添えを食っているのか。どちらにしても、ひでえよそんなん言うの、って思う。
私にとってはそう言った人たちが話していることが窮屈でつまらなく感じている。でも馬鹿にはしてないよ。

出勤納めだった。帰りに気が向けば飲むことになっていたがキャンセルになってちょっと残念だった。結局、野毛での年内呑み納めとして福田フライへ一人で。もっと味を噛みしめれば良かったなぁ。ふわふわ浮ついて、もりもり食べてしまった。といっても、イカと牡蠣とレモンサワーだけだけど。あまり食べ呑みすると負担になるので、適度にを心がけて。それでも、若干負担を感じながら帰途に就いた。お酒、ほんと弱くなったな。というか苦手意識ができちゃったんだな。
電車の中でIちゃんにバッタリ。ニンニクくさくて恐縮だった。左右に座っている人にも。家に帰ってもやはり母に「ガーリックくさい」と言われる。へへん。だって、もう次の出勤新年12日なんだもの。18日もお休みって……持て余すし堕落し続けてしまう。支障がない程度に体型を戻したいし、書きものもした方がいいし、それなのに部屋だと机に向かえないからこれホント困ってる。

Mさんが本と漫画を貸してくれた。漫画本(全2巻)を読むのは久しぶりなので(Sさんに借りた以来?)楽しみだ。
そして27日は穂村弘氏のサイン本『野良猫を尊敬した日』を返してもらうことを忘れないようにしなきゃだ。一年以上、貸しっぱなしになってしまっている。たまに読みたくなるたび、あ、ない。ってなる。

今日はお昼のチキンレッグも夜のすき焼きもおいしかった。もちろん福田フライも。

久しぶりにoh! しまった!!を更新した。これは書かないと!って思って書いてみたけど、やっぱりなんか全然自信がない。中途半端に読みての反応を気にしてる。それじゃ意味ないのに。ピン留めの惑星にしても、思い切り書こう。

はー。一日の終わりにしても口がニンニクくさい。笑
これを幸せという。?

いつも2時半にくる新聞配達が今日は遅い。3時14分。

2018年12月24日(月祝)晴れてた?

エッセイが書き終わらず、予定していたお友だちが聖歌を歌うミサに行けず。

うとうとと寝落ちして、エレベーターで56階のスキー場に上がる夢を見た。学童から中学まで一緒だったSが乗り合わせていた。なぜ、大っきらいなSがイヴの夢に……。

おいしくないケーキほど食べる意味のないものはない。
ともっともらしく言ってみる。けれど、本当に。特にイブには。

2018年12月23日(日祝) 小雨

一日家にこもっている。
クリスマス期はいっそシフトに入ってる方がいい。
本当にひとりぼっちなのはクリスマスイブに仕事の人じゃない。翌25日に朝から出勤できる人だ。私だ。

あの子にはいろんな姿があったことを時たま思い出す。
今、お腹のあたりが鳴って、なんだかあの子の鳴き声を思い起こした。それで、寝ているときの寝言、というか寝鳴き声を思い起こした。あの子がいってしまって以来、わざわざ思い出そうとしたりしなかったので、あの子のその声を、寝ているときによく夢を見ているのか鳴いているのを、あれ以来とてもひさしぶりに思い出している。懐かしい。懐かしいなんて思いたくないけれど、懐かしく恋しい。まだまだ思い出していない所作があるんだろうな。忘れたくない。

2018年12月22日(土) 曇り。これから雨になるらしい。

ひどいのだ。一昨日の日記に、
>今日は弟の誕生日だ。彼も……32歳か。いつも心配。家族皆んなから愛されていることを知ってほしい。
なんて書いたくせに、弟違いの勘違いをしていて、20日は36歳になった上の弟の誕生日であったのに、下の弟のだと思っちゃっていた。何が、「家族皆んなから愛されていることを知ってほしい。」だよね。全然説得力ない。笑
ボーッとしすぎなのか、これが歳を重ねるということなのか???

「邂逅」という字を見るたび、読み方なんだっけ? 意味もなんだっけ? と記憶がリセットされている。正直、使ってくれるなとさえ思う。笑

邂逅(かいこう):思いがけなく出あうこと。偶然の出あい。 めぐりあい。「旧友と邂逅する」

潔癖症というのは実は、ただ想像力が豊かな人のことを言うのではないかと思う。
そういう意味では私も少々潔癖症だ。(じぶんのことを、想像力が“豊か”というのはおこがましい感じがするが、そういう優越性はここにはない)
「これをこんな風にこうしていたら、ここでものすごく菌が増えてるのでは……?」と豊かに想像してしまうのだ。
その想像した世界(図、画)が違う人とは諍いが起きる。
たとえば、しゃもじだ。
母は、しゃもじを水を張ったマグカップに入れ挿しておく人だ。朝から夜まで一日中。しかもシンクの近くに。その上にはコップ洗用のブラシや細かい汚れをこする用のブラシなどが掛かっている。
私はそれらが耐えられない。洗い物の水がきっとや跳ねてコップまで飛び落ちているし、ブラシからも何らか不衛生なものが落ちてきているはずだ。
その雑菌だらけのコップ水の中に米粒のついたしゃもじを長時間入れておくなんて、しかもそのしゃもじ、「(米粒が)くっつか〜ず」みたいな名前のデコボコしたやつで、水に漬けておく必要なんてそもそもないのに、それなのに嗚呼もう、きったないよ〜〜〜。って思って(想像だが)母に訴えるのだけれど完全にスルーされている。
私の見えている世界と母の見えている世界が違うのだろう。
なので私は毎回、そのしゃもじを洗ってから使うか、面倒くさいときは箸でご飯をよそう。どちらにしても煩わしい。
けれどだいたい、人間なんて大抵の菌に対してそんなに弱っちくない。だからしゃもじが何日水に漬かっていようと、そのしゃもじでよそった白米を食べたところできっとどうにもならない。それも知ってはいる。
だから……いっそこの想像力がなければいろいろ他人とうまくいくよなぁとは思っている。
ちなみに、その他によく想像してしまうのは料理人の指や腕の産毛って少なからず料理にまざってるだろうな〜というのと、作りながら喋ったり給仕するときに「おまたせしました〜」とかアナウンスしてるときに唾が掛かってるんじゃないかな〜ということ。気にせず食べるけどね。笑

月ってこんなに光るものだったか。眩しいくらい。冬至の夜。


2018年12月21日(金) 晴れ

昨日の朝は、日々すれ違う面々といつもより手前ですれ違ったと書いた。そして私は昨日の朝、出勤に1分遅刻した。日々すれ違う面々といつもより手前ですれ違った時点で気づくべきだったのだ。これは私、今日はいつもより遅れてるな、と。(電車がちょっと遅め運行だったのかな?)

今朝はシギョン似さんとはすれ違えなかったけど、変わらず個性的な帽子をかぶったお洒落おやじとすれ違った。「彼はおぎやはぎのお兄さんなんだよ」と言われたら信じると思う。という感じに少し矢作に似ている。体型は違うのだけれど。

昨日からRADWIPSの『そっけない』を聴いている。
こんなことされたら、「文章」は、どうしよう??? という感じで焦る。逸る。
「歌う」がなければ文字だけでどこまでどう持っていけるのだろう? 読み手に委ねられているのだけれど、託し信じてご自由にどうぞなんだけど、どんなやり方であれ、もう少し、もっと、情動を仕立て上げてから投げたいかなぁ。どうしよう???

そしてこの曲を聴きながら「カラオケで歌えたらいいな」と思った。エモいってことなんだと思う。人にはカラオケでエモい曲を大熱唱したい衝動があるでしょ? カラオケというのも成仏のための行為だよなぁ。祈り。念仏。

昨晩は友と電話。夜遅いし疲れてるだろうしと思ったけど結局1時間以上話してしまった。ありがたかった。

カッターの刃を人生で初めて替えたと思う。(YouTubeでやり方を見ながら)
今まではいつも誰かが替えてくれたカッターを、だったけど、今日から私もカッターの円環に仲間入りすることができた。今さらだけど、若干誇らしい。連鎖の担い手。
子どもを産むのもこんな感じだろうか。
「初めて」が遅いほど、感慨は深く多くなるのだろうか。

出掛けには気づかなかったけど、この服こんなに静電気起こるのかよーという服の一日ある。

顔文字を付けるときにいくら笑っていても「😂」はやり過ぎだろうそんなに涙出るほど笑っちゃいないわ、と使用を敬遠していたけれど、今日始めて😂にふさわしいものを見てしまった↓

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『しあわせだったにゃにょ』って😂😂😂
“にょ”って😂😂😂
ありがとうジャック&ベティさん。
見れば見るほど可笑しくてずっと笑っていられる……。

18年12月20日(木) 晴れ

今日は弟の誕生日だ。彼も……32歳か。いつも心配。家族皆んなから愛されていることを知ってほしい。
あと、ある友だちも。おめでただしおめでたい。母子ともにどうか無事に年越しを。

今朝はソン・シギョン似氏観察史上最も手前ですれ違った。
私がエスカレーターを降りている途中で、彼が対向する昇りエスカレーターに乗ろうとしているところで、一瞬ふあっと彼が上を仰いだからびっくりした。
これまで、190cmはあろうかという高身長からぼんやりまっすぐ前方を見据えるかうつむいたまま歩いているかのどっちかで、目線がこちらに来ることなど一度たりとも。そのため、かれこれもう1年半は週2〜3回すれ違っているというのに、彼は私を認識していないと思われる。(さみしいね)
それが、ふあっと顔を上げたものだから若干こっち見た?ぐらいの感じでびっくりした。けどたぶん、見てない。(さみしいよ)

◉この機会に、朝、すれ違う人まとめ

ソン・シギョン似さん
ソン・シギョンとは私が大好きな歌手であり、彼にすこーし似た風貌の高身長&メガネの青年。30歳前後? この世界のすべてが嫌いそうな表情で毎朝歩いている。多分、エンジニア系?
・お洒落おやじ
個性的な帽子にはじまり全体的にお洒落ファッションのおじさん。50歳前後? アパレル系? S駅とH駅のどちらでも見掛ける不定期型。
・小走りサラリーマン
いつも小走りしながら駅に向かっているシュッとしたサラリーマン。30代前半?
・ミゲルとミシル
裏路地で見掛ける三毛猫。人懐っこいミゲルと人見知りのミシル(いずれも勝手に命名)。可愛い。

以上(2018年12月現在)

今朝は小走りサラリーマンも若干手前ですれ違った。
そのせいか、小走りからだいぶピッチが上がっていて、いつもこれは電車に間に合わないから走っているのかそれともエクササイズなのか? と考えてきた謎が、これは多分エクササイズ。走りたいから彼は走っている。という結論に至った。もう、もしかしたら実業団マラソン選手とかだったりするのかもしれない。

ミゲルもミシルもいなかった。いつも置いてある水入りバケツ(よく餌をやっているおばさん家の勝手口に、飲水用として置いてあるやつ)もなかったなぁ。近くで工事をしてるから退避してるのか。

とある兄弟をコンプリートした。
最初に兄をネットで知り、のちに偶然にもその弟さんとお見合いパーティーで出会い(マッチングならず)、さっきふいに兄実物が眼の前に諸用で現れた。この兄弟となにか因縁でもあるのだろうか……?

先週あたりから水仙が咲き始めている。いい香りなんだよね水仙って。往来ではあまり香ってはこないけれど。好きだなぁ水仙

優恵さんの今日のカタヨリ荘の『昼寝の前に』で、「出会し〜」という箇所があって「出会す(でくわす)」という読み方を知った。

肩が痛すぎて、帰り道HACに寄ってアンメルツヨコヨコ的なローションを買って帰ることを心待ちにしている。アレ系のローションがないと私の日々はつらい。なんだったらもうお守り的な存在。リップに次ぐ立ち位置。必携。
ようやくじんましんも落ち着いて(服用は続けている)、昨日湿布を貼っても腫れ上がったりしていない。良かった……。

2018年12月19日(水) 晴れ

「苦手」は「嫌い」の謙譲語

冬の部屋干しは室内に湿気を与えるから好きだ。「水分が乾いていくの」好きとしては、ひとつの愉しみ。

2018年12月18日(火)

「きょにっき」を公開。

誰かと付き合うことになって彼氏ができたと喜びのダンスを動画に撮っている夢を見た。それ、どうする気だったんだ?
夢の中のじぶんはでも、ただ撮りたかったから撮っていた。シンプル。

深夜にコンビニで買い物をしてから約2時間してようやく「あれ? 肉まん買わなかったっけ?」と気づく。レジ袋をどんなにかき回しても肉まんの姿はない。レシートにある電話番号に電話を掛ける。たぶんさっきの店員と思われるたどたどしいガール店員が出て、「あっもしかして……何時頃ですか?」等たどたどしい問答をしてくる。そして「あとで確認して返金でいいですかね?」と訊いてくる。いや、君、肉まん包むまではやってたよね? それどこ行ったん? 私の特製肉まんどこ? 覚えあるんじゃ……? そうでなくても一旦ちょっと「申し訳ありませんでした」って言葉が聞きたいところだ。今確認はできないものなのか尋ねたら、はい……後日返金で……大変申し訳ありませんでした。と聞けたのでもうそれ以上は食い下がらず、はい、はい、と電話を切った。切り際も、大変申し訳ありませんでしたと言っていた。思い出したのかもしれない。いや、絶対に心当たりがあるはずなのだ、たどたどガールよ、肉まんおいしかった?

……と、やれやれと思っていたらコンビニから着信があった。てか今、深夜3時半なんですけど。苦笑 
たどたどちゃん「やっぱり〜そうだったんで〜クレジット決済は肉まんを引いた金額に修正しておきました♪ で、たびたびお手数でたいへん申し訳ないのですがぁ、後日それにサインをしにご来店いただけませんかぁ?」
もう行くよ行く!笑 今日はレジ中に私もよそ見をしたりしていたのもいけなかったんだきっと。これからはレジはずっと見据えておくことを心掛けよう、必ず。

2018年12月17日(月) 晴れ?

晴れ?とかの日は、一日部屋にこもっていた日で、どんな天気だったかあんまり確かなことが言えない日。

しなければいけなかった連絡をすっかり忘れて逃し、待っていた連絡は来なかった。明日に持ち越し。

排卵期だなーと分かる。私はとっくに諦めて、求めてもいないのに、体はずっと頑張っている。頑張ってるなーって思う。毎回、今月が最後だったりするのかな、と少し名残惜しく思ったりする。女性は閉経するとガラッと変わるらしい。私はどんなになるのだろう。

昨日はTの誕生日、18日はYの誕生日。おめでとう。

ブラックリスト』の第6シーズンを観始めたけれどなんだか全然入ってこない。

なんとなく勘違いしていたみたいなんだけど、私は全然「多数派」じゃぁなかったよなそもそも。ってなぜ今になって改めてハッとしたのかわからないけれど。ぱっとたくさんの支持を得られるわけじゃない。けど例えばFacebookで「いいね」してくれるひとたちって私を直接知っていて、その優しさで「いいね」してくれてる部分がほとんどで、それが別のSNSなら当然違う反応で、作品単体においてもそうで。
大海原に、広い宇宙に、或る一人が祈りのように放つイメージは、そのままに大切にしたい、忘れずに翻弄されずに踊らされずに。

2018年12月16日(日) 曇りがち、昼間40%の降水確率で雨が降る

原付きでの出勤は寒いので薄手厚手のダウンを2枚重ねで。きっつきつ。首周りの防寒にも努めたい。そういえば横からひょいっと飛び出してきそうになった車にドキー!ってなったな。こんなに心臓ドキーってなるかってくらい。やめてほしい。

毎日毎日幾つもの工程を重ねて更新通知を発信していた一年間は……今思うと、当時ももちろんずしんと感じていたけれど、本当に手間を掛けていて、それが報われなかったからまたずっしーんではあったけど、今とても荷がおりていて軽やかで。なんて幸せなんだろう。

「長老木」って……あ、「ちょろぎ」!? あ、あてぎ(字)!?
可笑しい。

ラーメンを一気にすする人が好き

やっぱり猫の話はみるのつらい。>ドラマ『グーグーだって猫である

もう一度、家でTVでDVDを観てみた。何度観ても違う作品だ。

Mさんとご飯。年始から栄転で帰ってくる。本当に嬉しいお知らせだった。T新館が驚くほどどれもこれも美味しくなくなっていてそれがすごく残念だった。あれはひどい。本館はだいじょうぶそうだけど。

2018年12月15日(土) 結構晴れているけれど、寒い

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がーん!「片想い」は「恋」じゃないとな。苦笑
けど私は恋だと思う。恋って夢見ることだと思っているから。

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>関心のない人には、どれほど情理をつくし語っても伝わらない。
……ほんとそう。

2018年12月14日(金) 晴れ?

ずっと明日の更新のピン留めの惑星のことを考えている
キャッチーなことじゃなくって、こんなこと書いちゃうんだって思われたいみたいなことなんかでも絶対になくって、本当にのこしたい気持ち、を。

メモ:ちょっとでも傷ついてしまうと、期待をかわされると、死ねばいいのにってなるから、絶対に私を傷つけないままでいてほしい。それは決して期待を抱かないこと。いつまでも私にやさしくしてほしい。

2018年12月13日(木) 曇り気味の晴れ

図書館の生け垣の草ボーボーの中、三毛猫がじっとしていた。じっと、何をしていたのだろう。「さっき下でミゲルには会ったから、ミシルかな?」と思って近づいたけど分からなくて、あとで写真見て確認できるようにと顔の三毛模様をよく観察した。
違った。ミシルでもなかった。そういえば前にもこの一体の草むらで三毛猫を見た気がする。ここらの猫なのかもしれないな。

2018年12月12日(水)

ダウントン・アビー』全6シーズンを観終わってしまった。さびしい。デイジーには散々苛立たされたけど。
スエ主演の韓国ドラマ『ウチに住む男』はどうも……。ざんねん。

¶2018年12月11日(火) 曇り 寒い 時々晴れ間

段落記号をつけてみたけれど。

「惚気」が読めなくて、前々からたまに見かけていたけれどそのままにしていて、でも「ほれけ」? 惚れてる感じの気持ちのことかな? とホクホクしながら調べたら、「のろけ」!? うーん確かにそうだねわかるけど、誰かに惚れてるときの浮ついた気持ち自体のこと「惚気(ほれけ)」であってほしかったな残念。と思うのだった。

2018年12月10日 曇りだったかな

寂しいよと急におそってくる。噴き出す。
語りかけるひとがいないから、私はあの子に、いつも語りかけていた、そのあの子がもういない。語りかける相手が、いなくって、さみしくて、恋しい。だから最近身代わりの人形が欲しくなっている。

2018年12月9日 日曜日 曇りでとっても冷えてる

コーヒーは得意では実はないのだけれど(カフェオレとかは好き♡)、コーヒーを淹れる男の子は素敵なので、コーヒーを好きになりたいし彼らの淹れたコーヒーを飲みたい。
それでそういう彼らのInstagramとかで彼女の片鱗とか見つけると、ぬうう……ってなるよね。

恋したときに口ずさむ音楽を知っていれば
一緒に舐めてた飴を捨てたこと

「いーんですよ。僕はおーしまさんがいーんだから。」とかいーな。

いいねの数が引くほど多いといいねしたいのを控えるようになる。
数、表示してほしくないな。たくさんの誰かに支持されてるものに後からいいねするのってダサい以外ない気持ちになるから。

「揚げ物だから日持ちするでしょ」某氏
年齢が発言に出ていて聞いて安心する。若い子ってこういうこと言わないよね。

電球が照らすビニルハウスできみが見つけた初生りの苺をほいと投げてくれた冬の夜

2018年12月8日 土曜日 曇り

昨日若干一瞬かゆくなってしまったような。また問題が悶々とぶり返すのは勘弁してほしい…。もう考えたくも関わりたくもないのだ一切。大切な部分・人にだけ、大切に当たっていく。

「時差ボケまだ引きずってるかも。最近午前中がつらい。まぁ。いつもつらかったけど。」(某氏)

2018年12月7日 金曜日 雨上がりの曇り空からだんだんと晴れ

ひさしぶりの出勤。気前よくソン・シギョン似氏とエスカレーターですれ違う。エスカレーターですれ違うのは歩いているときより距離が縮まるから嬉しい。
路地裏の猫ミゲルは冬期の定位置、ビッグバイクの座席シートの上で日向ぼっこをしていた。今朝もなでなでして満足。

お願いしたのにそうなっていないこと。ただ失念したのか、そうではないのか。いずれにしてもこの世からそうした行き違いは消えればいいのにな。
イヤだなあ。どうかじんましん出ませんように。

滝口悠生……濱口竜介……混同

2018年12月5日 水曜日 昨日よりは暑くなくて風の強い日、コートはなくても大丈夫

K、帰国。楽しい3泊4日。
「ともえちゃんには特徴があるね…恋のこととかをいつもよく考えてる」
あ、また言われてしまったと思った。以前も男友達に「なんで今日恋愛の話ばかりしてるの?」と言われてハッとした。もうライフワークなのだ。というか作家なのだそうした。
だけど逆に訊きたい。
「恋愛のこと以外で何考えてるの?」

きらいなひとのこと、やっぱりきらいって思った。
もう、なにを見聞きしても、それがどんなものでも、きらいと思ってしまうから、もうだめだと再確認した。もう、触れない一切。

父と口論。
大きな声を出すと喉がひりひり。痛いね。
父は正しい。小さい頃から変わらない。父の前ではだめな娘のままだ。
自由に生きるとは巣立つことだよなあ。いつまでも私は傘下。

2018年12月2日 日曜日 曇りめ

K、来日。飛行機が2時間遅れたとのこと。今日は横浜に来てもらって「ウミネコ」へ。私もおいしかったし彼女も喜んでくれてよかった。観覧車に一緒に乗ろうと思ったのに、12月から閉園時間が一時間短くなっていて門は閉まっていた……「彼氏と来なさい」ってことだよね、とあとにする。

2018年12月1日 土曜日 晴れ

受け入れがたいもの 月曜始まりのカレンダー

母があんななのは私もだなと思う。
私に「考え過ぎ」という人は、私に「生きるな」と言ってるのと同じ。
私の文を読んで「考え過ぎ」と笑う人は、私の文がぜんぜん読めていない。

いわゆるラブラブなひとのつぶやきとか、映画やドラマなんかで恋が成就して以降の部分とか、じぶんには関係のないこと過ぎて「こわい」という感覚ばかりになる。確かにそれはあるらしいのだが、じぶんにはとんと訪れない未知のもの“幸せ”。もうホラー映画観てるのと同じ。幸せがお化けと同義になっている。